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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 王 : [おう] 1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi)
エシュウィネ(Æscwine、古英語:ÆSCVVINE CENFVSING VVESTSEAXNA CYNING、羅:ÆSCVVINE REX SAXONVM OCCIDENTALIVM、没年676年頃)とはウェセックス王家に連なる人物で、後世ウェセックス王として列せられている。しかしながら、彼がこの時代のウェセックスを治めた単独の王であったとは考えられてはいない。日本語ではアクスウィネとも書かれる。 後世の歴史家ベーダ・ヴェネラビリスはウェセックス王チェンワルフ没後の時代をこう書いている: 西サクソン族の伝承ではチェンワルフの後、妻サクスブルフが一年間女王として王位に就き、その後エシュウィネの名が書き残されているが、別の文献ではサクスブルフの後、父チェンフス(Cenfus)が王位に2年間就き、その後にエシュウィネによって引き継がれたとされている〔Kirby, D.P.著『The Earliest English Kings』、52頁。チェンフスは現在ではウェセックス王とはみなされていない。Barbara Yorke著、『Kings and Kingdoms of Early Anglo-Saxon England』、133-134頁。〕。 アングロサクソン年代記ではエシュウィネの統治は674年より始まるとされている。この項目にはまた彼の出自の系譜が記述されており、それによると彼はキュンリッチから5代目の子孫とされている〔『674年、この年エシュウィネがウェセックス王国の王位を継ぐ。エシュウィネはチェンフスの子、チェンフスはチェンフェルスの子、チェンフェルスはクスイルスの子、クスイルスはチェオルウルフの子、チェオルウルフはキュンリッチの子、キュンリッチはチェルディッチの子である。』 - アングロサクソン年代記、674年。〕。ベーダはエシュウィネを副王とさえもしてはいない。この姿勢からベーダは彼をウェセックス王イネを擁立する支持者の一人として見なしていた事が伺える〔Kirby、52-53頁〕。イネはベーダの生きた時代にウェセックスを治めていた王家の始祖であり、イネの家系はまたチェウリンの息子クスウィネを通じてキュンリッチにつながる貴種の子孫としていた。 675年、エシュウィネは「ビーダンヘフデ(Biedanheafde)」でマーシア王ウルフヘレの侵入を退け、これを敗った。この地がどこであったかは特定できていない。 エシュウィネの死後、王位はチェントウィネによって引き継がれた。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エシュウィネ (ウェセックス王)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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